酩酊 五月雨 きみ 魚

「自称異常」な女と「自称正常」な女。

『圏外、くらいとこ。』

@『なんか、声が変わった。』「変わってへんよ、会ってへんかったから、そのブランク?ちゃうん。」


@数年ぶりに会った彼女は、昨日までわたしが知っていた彼女だった。変なの、数年間会わなかったことなんて信じられないくらいに、
わたしと彼女は、『わたし』で、「彼女」だった。
それはきっと、これからも"そう"で、
それを誰かは「これからもずっと苦しむんだね」と言うかも知れない。、それでもそんな不毛さえやさしく笑えるのは、

それらがわたしと彼女の関係を繋ぐ一部でもあるからかもしれない。
どうしても思い返してしまう、「あの日々」を確かにわたし達は「生きてきた」からかも、しれない。そしてその日々が、確かに「愛しかった、」
からかも、しれない。



@吐瀉物みたいなスムージーを飲みながら、会わなかったときの話もしたし、昔の話もした。思い出と言い切るには鮮明すぎて、彼女が放つ、「、くん。」と言う名前に、わたしは何度も安心したのは、彼女には内緒。


何でだろうね、沢山笑って冗談を言い合って
とても楽しい時間だったのに。
わたしは何処かで恐れていた。
回顧録が済んだ後、
彼女の口から、わたしの口から、
『これからのこと』『未来』、
それを聞くのも、言ってしまうのも
わたしはあのとき、
とてもとても、怖かったんだ。




@「恋愛と宗教の違いについて」。
「愛と信仰心の違いについて」。
「きみと神さまの違いについて」。


わたし『達』は、未だに考え続け、同じような疑問や考察をループさせる。地下にある、カフェ。「圏外」を表示し続ける携帯電話は、丸で彼女とわたし、そのものだった。


どうしてだろう、
答えなんて かんたん なのにね。


"考えるのを、諦めたらいい"



きっと、判りきってるくせに
どうして何時だって

人間とは、こうも、くだらない。
これが希望なのかも。諦めなのかも
判らない、ただ、くだらない。


くだらない、
判りきってるくせに、
そんなくだらないもので形成されるせかい


それでも
目の前で笑う彼女のことを
わたしは すき だったし
結局わたし達は、きっと何時までも わたし達なんだよな。
そんな残酷さが生み出したのが、
こんな 出会い だとするなら

ねえ、きみ。
人間はもしかしたら
棄てたもんじゃないのかもな。


@何て言うか、
書きたいことは沢山あるんだけど
(まあまた分けて書こう)(つまりはまたわたしの彼女へのデレ記事が続くわけだがまあ許せ)





わたし、は、
正直久しぶりに会った彼女を
変わらないと思った、
そう、変わらずに、確実に
死に向かって生きていて、変わっていく。



まあそれは
人間誰しもが そう 何だけれど。
違うの、
彼女の場合、老いるとか、
歳を重ねていくとか、
そういう意味でじゃなく。



それでもわたしは
きっと彼女がもしかしたら
本当に居なくなってしまうとき、

『嫌だ、死なないで』よりも、
『死ぬときは死ぬって連絡はしてね』
って、きっとそう言うんだと思う。


これはわたしにとって
レベル的にはさいこーの
愛情ひょうげん なんだけど、

きっと糞みたいな道徳心をもった
聖人は、わたしを
非道だと言うんだろう。


まあそれでもいいや。
目の前で笑う彼女が
可愛かったからそれでもいいや。




@とりあえず年内には
もう一回くらい会いましょう。

@あ、あと。
これ。ずっと何処かのタイミングで
いいたくて、
だから ここ で記しておく。
彼女と出会って、
ん?もうすぐ10年くらいなる?ならない?
初めて会ったときのことなんて
本当に忘れたよね。お互い。

でもね、
時々 ふっと 思い出すシーンがあって、
新大阪駅のタクシー乗り場の前で
待ち合わせていた彼女が
目を真っ赤にして泣いていたとき


その
前後も成り行きも日付も
曖昧すぎる 記憶でしか
ない、 のに

あの瞬間の彼女は
まだ、まだ、
わたしの中で生きている。
そして時々
思い出すんだ、何故かね。

「あたしは、きみは、あなたは、世界は、存在する?」

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あたしにとってのきみ、は
本当に存在するのだろうか?

「していなければおかしい」
それは正答だと思う。
何故ならあたしがこの眼で視たから。



でも、視界は脳に支配、管理されている。
見えないものだって、
簡単に見えてしまう。
聴覚も、味覚だってそう。

幻覚を見たことがありますか?
幻聴を聞いたことがありますか?

あたしはある。

でもそれは「幻覚」「幻聴」だと理解できた。
でも、出来なかったら?


出来なかったから未だに
「幽霊」だの「都市伝説」だの「超能力」だのを信じる人がいるのだと、あたしは思っている。

つまり、現実と幻が区別出来ない可能性は確かにあって、しかも少なくもない。


夢を見ているときだって、夢を見ているときはそれがどんなに不自然だったとしても現実だと認識してしまうでしょう?

夢の中で
何度も起きては、ああ夢だったのか…
のループに陥った経験のある人も少なくないと思う。



じゃあこの世界が本物だと、
現実だと、
いま呼吸をしている自分が本物だと、
見えている現実が現実だと、
自信を持って言えるひとは居る?



あたしは、「たぶん」
いま、ここが現実だと思っていて、
「たぶん」きみも存在していると思う。

「たぶん」きみのことを
他の誰かも見えているし
「たぶん」あたしだって存在している。


多分、きっと、そうなんだと思う。



でも自分は何処にいても自分だ。
自分だけの世界にいようが、地球と呼ばれる世界にいようが、宇宙へ行こうが、死んでしまおうが、この意識がある限り自分は自分でしかない。

それに対し自分の周りは違う。
自分の脳の指令ひとつで、
在ることにも出来るし居ることにも出来るし
無いことにも出来るし居ないことにだって出来てしまう。


きみ、は、居るのか?

触れた手首は確かに在った。
触れることが出来た。
だからなんなんだ?

「人の感覚は脳の指令ひとつでどんな形にだって出来る」以上、そんな記憶だけで本当に居るのか否かなんて解らない。



もしかしたら此処も夢かもしれない。
もしかしたら現実なんて無いのかもしれない。
ああ、そっちの方が都合がいいな。
「本当」なんて無い。
「虚無」を彷徨い続けているだけ。
自分の脳内の中で。
あたしが造り上げた世界で。


…いや、それなら、もっと都合よくしてくれたっていいじゃないか。
夢をコントロール出来ないように、「脳内の現実」もコントロール出来ないのか?

自分の頭なのに!
自分の思い描いた世界にはならないって?
ヌルゲーが面白くないのは分かるけど、リセットボタンを押したくなるのはクソゲーっていうんだよ。

ねえ、あたしの頭よ。

此処は何処なの?
あたしは、あたしは、一体何なの?
何のために此処に居るの?
何のために「現実」だと認識させて其処で生かそうとしているの?

本当に、きみは居るの?
本当に、このお酒だと思っているものはお酒で、本当に、この煙草と思っているものは煙草なの?


解るはずもないよ。
生きている限り。
生きている事実を受け止めないと。
きっと死んでも、解らないけど。

解るはずもないのに、
答えを知りたがるのは
生きてるからなのかなあ。

生まれ変わることが出来るなら、あたしは魚になって、痛覚もないまま裁かれて死にたいよ。
それくらいは願ってもいいよね。


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「東京で配られていたガールズバーのポケットティッシュ」

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長きに渡り、自問自答を繰り返し、時には悩み、時には考えることすら忘れ無我夢中で走り、時に笑って、沢山泣いた。


現実とやらを思い知った。

現実は無慈悲だ。
現実に夢や希望や奇跡など無い。
もしあると言うならば、それはもう達成されている事項であり、
夢や希望や奇跡などという言葉では表すことが出来ないただの「事実」「過去」「経験」「運命」、だったんだ。
もし、あると言うならばそれは。
「努力」「執着」「意地」「結果論」。




本当はゆめもきぼうも、
きせきだって、あったらいいなって思う。
でも全ては成るがまま。
悪足掻きをしたって、それは決定事項。

在るがまま。

今ここで踏み止まろうが歩き出そうがその行く末はその時点で、いや、それ以前に、自分の意志とは無関係に決まっている。


なんて、ただの戯言にしか過ぎない。

人は人知を越えられない、
従って嘘と真実も解らない。

結局のところ、「何かを糧にしなければ生きていく意味が見いだせない程に」
此処は、辛くて残酷で、無慈悲な現実だ。



達観しているわけでも、悟りを開いたわけでも、馬鹿にしているわけでも、馬鹿っぽいことを言いたいわけでもない。

踏み躙りたいだけだ。
潰して消してしまいたいだけだ。
自己満足的な欲求。
張り裂けそうなくらいあたしの中の悪魔が叫ぶ。

あたしは、あたしがこうなったことに気づいてしまった。
だから全部破綻した。無くなった。失くなった。亡くなった。破滅。絶滅。消滅。理性という枢が外れたとき、それらは全て崩壊してしまうだろう。

抑えているのが最期の理性。
それでも掻き毟らないと、ねえ、嘆く場もないから、誰かを傷つけなきゃ、誰かの不快感を得なきゃ、誰かに罵倒されていなきゃ、潰れてしまうの。
それはとても矛盾していて、
誰かの不快感や、不安定さ、恨み、辛み、それが自分に向けられているものでなくても全部全部吸収してしまうから、だからそれを埋めるのは安心感や幸福感ではなく、それ以上の苦痛でしかないの。
おかしいよね。
でも分かってくれるとおもう。

分かってくれるよね?
うん、分かってくれなきゃ、おかしい。


世界のことをおかしいと思うとき、「自分が」おかしいだなんて、そんな論理めちゃめちゃだ。
世界にはおかしいことなんて沢山ある。
理解できないことも沢山ある。
それに同意する人が多数を占めていたらそれはおかしくないことなの?
おかしい。その思考がもうおかしい。

あたしはおかしくない。
あたしは至って正常に生きている。
間違うときもあるけれど、怒られたり、それは違うよと言われ、納得すればそれが間違いだったと気づくことが出来る。

どれだけ批判されようが、絶対的に自分が間違っていない、それは他にも多くの賛同者がいるからだ、なんて考え方をしている人の方があたしからすればよっぽどおかしい。

おかしい。おかしいよ。笑っちゃう。



正当化と言う名の自己防衛。
それくらいしか出来ない、あたしをお願いだから消してほしい。

もう人間には疲れた。
夢や希望だけが先を走って、現実を見ようともせず、重い鉛を足に巻き、暗く出口の見えない道をひたすら這って生きていくことに疲れた。

現実は、無慈悲だ。
神様は悪魔で、この世界は地獄だ。

別に死にたいなんて思わない。
でも生きたいとも思っていない。
死ね、とも思わないし。
きみが死にたかろうがあたしが悲しいから。




何でもない。

何の意味も持たない言葉の羅列。
誰に伝えようともしていない。
だから伝わるわけもない。
自分自身と話しているだけだもの。


他愛もない、60分10000円のコース。
オプションは2000円でコスプレ。
ピンクローターは1000円で。

人生なんてそんなもの。

何もかも、腐っていて、穢れていて、悲しくて、欲望に塗れて汚い。



もし、明日太陽が登らなかったら、
もし、宇宙人が地球へ降りてきて地球が占拠されたら、
もし、この瞬間手を繋いでいる人が次の瞬間倒れたら、
もし、憧れの芸能人が家にやってきたら、
もし、いきなりテレビ画面がついてそこから貞子が出てきたら、


想像し得る全ては起こり得る事象であり
「有り得ない」は「有り得ない」。




だからもう、そんな茶番に、些細な一喜一憂に、壊れていく自分に、飽き飽きしている。


だからまた眠るんだ。

「夢」が詰まった自分だけの世界にちっぽけな「希望」を求めて、「奇跡」が起こる瞬間を噛み締めるために。



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『きみ、なんて結局』


@ねむれる体制に入った、から書くこの文章。きっと支離滅裂明日の朝には『ナンダコレ??』と思う視界がぼやけてるけど残したい『現在』には抗えない



@結局「きみ」と使うことで総てのわたしと係わりを持つひとに、偉そうに言えば、選択肢を与えてる、そしてわたしは逃げている。誰にでも当てはまる「きみ」を、わたしは言い訳にでも逃げ道にもできるから。わたしが、彼女が「きみ」の名前をハッキリとここで綴ってしまったとき、わたしと彼女はきっと逃げ道が無くなる(そう思うのはわたしだけかしら)


@今や有り触れすぎてる世の中のラブソングに、ひとは何時だって感情を移入させることは
容易い

その歌詞の「きみ」と言う主語だけを替えて
後に綴られる「愛してる」、なんて屎みたいなフレーズを、恰も当たり前に「きみ」への感情だと錯覚する。お前たちのその「きみ」は、一体何にん目の、「きみ」だ。




@わたしはきみが大切で仕方ないけど
結局わたしだって
きみじゃ無くても誰かを「きみ」にするのかしら。
自己陶酔のために既存したラブソングにきみのことを当て嵌めるのかしら。



「きみ」なんて後付けで誰でも代用できて
ひとなんてその後のフレーズに
酔いしれるだけなんじゃないの。
「きみを愛している」「きみじゃなきゃ駄目だ」。

ああ、なんてくだらない
くだらないのは誰だ。
「それら」を潔癖する、わたしだ。



@何が言いたいのか頭が廻らない
結局ひとなんて他人なんて自己陶酔の駒でしかないんでしょ。



@、それでもわたしは
『きみじ ゃなきゃいやだ』と言う感情をたったひとりに向けて、そしてこの「きみ」は、「きみ 」にしか抱かない


それをひねくれてる「きみ」に、
「僕は何にん目の、「きみ 」」?
と、問われようもんなら、わたしは
きみ、に、
出会って初めての感情を抱くんだろう、その名前は多分、「潔癖」。



@しんじてほしい
しんじてるから
誰にでも当てはまる「きみ 」へ。
『君と居たら生きたくなる、 』
この歌、
「きみ」なら「きみ 」のことだと
判っている、と、

ねえ、信じているよ、



@成美

「きみがこれを読むことで、何も変わらなくても。」

_


ブログを更新していなかったのは、決して三日坊主だからではない(今回に限っては)

書きたいことも、言いたいことも、叫びたいことも、何だかんだ色々際限なく言葉は脳内を巡り倒していて、全身が支配される程あったくらい。

あらゆる変化、混沌とする状況が故に、あたしの中の辞書は「し」の欄で埋め尽くされていた。

要はもう、何を書けばいいのか、何を叫びたいのか、何を伝えたいのか、何もないのか、何がなんだか分からなくなっていただけ。


だから今日のブログは、彼女だけのために書く。

少し語弊があるか…
「彼女が好きなあたしの世界を創って、彼女がまたそれを読んであたしのことを好きでいてくれるために書く」
人間なんて所詮そんなもんだ。

誰かのため。
何かのため。
そんな文句はクソ喰らえであって、
全員自分のためだろって。
自分が良く見られたいから、
気に入っていてもらいたいから、
好きでいてほしいから、
愛されてたいから、
孤独なんて嫌だから、
でも孤独だなんて自分に浸りたいから、
自分だけが辛いと思い込みたいから、

だからあたしは、そんな人間たちを愛し続けていたいとおもうんだ。


生きるとか死ぬとかさ、もうぶっちゃけどうでもいい話で、いまこの瞬間死のうがそれが自分の行く末だったというだけで、
仮にその過程の中でどれだけ辛く苦しい思いをしようが、それはもう死ぬんだから仕方のないことであって、
あたしは神も仏も人間も信じてないけど
何となく昔から根本として
「死を恐れるのは、死へ向かう様を見てきた生きている人間の単なる先入観」
だって、皆、「死んだ後のこと」なんて知らないでしょう。悲しむのは、死んだ人間の周りの人間だし。その上で、
「死ぬのが怖くて辛くて苦しいのは、それが人間最後の幸せになるための試練」
という考えを持っていて。

ああ、それに対する批判だとか反論なんてもんはマジでどうでもいいから。
とにかくあたしはそう思ってるってこと。

頭が回らん。
とにかく殺せとそれだけを祈っている。
あたしは優しいものが嫌いだ。
だから冷たい方がいい。
誰もあたしに関心も興味も期待も希望も持つな。
あたしは人間が嫌いだ。
だから人間を裏切る。
そしてお前らもあたしを裏切るだろう。
あたしの期待を、希望を踏み躙るだろう。
win-winじゃないか。
なんて、素晴らしい、関係性なんだ。

誰もあたしに興味なんてない。
あたしも誰にも興味なんてない。
それでも関係がそこにある、それはお互いに何かしらのメリットを感じ合っているからだ。

だから殺せよ
道端で声をかけるくらいなら
呼び止めて笑うくらいなら
偉そうに生きろというくらいなら
ころしてくれ。

でもどうせなら、見ず知らずの人間に殺られるより大好きなひとの手で幸せになりたいなあ。

そう。これでもまだ期待をし続けている。人間に。愚かだ。非常に情けない。あたしは人間を続けている。人間として、人間とともに生きている。なんて馬鹿げた話か。

画面が見えない

それでもちゃんと全部書ききらないと



久しぶりにきみをみた。
きみはやっぱり、人間だった。
多分ギリギリ人間だった。
少なくともあたしよりは人間だった。

その手を引きちぎりたかった
そうしたら一生あたしのことを忘れないだろうか
例え憎悪だとしてもあたしに感情を抱き続けただろうか
最高に気持ちいい

あたしは至って正常で、マトモに人間をしていて、普通に毎日を生きている。
多少は、悩んだりもする。
笑ったり怒ったり泣いたりもする。
それは美しく真っ当なのだろうか?

冷たいのが心地良い
このまま寝たら一体身体は何処に持っていかれるのだろう。
精神が動いていない状態の人間は空っぽだ。
何も感じなければ、

だめだねむい
さようなら何もない世界
こんにちは新しいわたし

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「ゆめの中での言葉は人間が言葉に表せない言語らしいが、其れでも。」

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今年の7月の終盤は、リアルなゆめの連続だった。その一つを此処にメモとして綴っておく。


あれはどこだったんだろう。
真っ白な建物、病院のような、学校のような。
其の中には女が沢山いて
それらは「友達」若しくは「知り合い」だったんだと思う。

其の女どもは、例に漏れず各グループに別れ、戯れていた。独りで行動できない生物が苦手なので、あたしは心底面倒臭い気持ちであった。

そして、きっかけは忘れたが
其れが「友人」だったか「知り合い」だったかも覚えていないが、とにかく女と口論になる。

嫌な気持ちになっているところに、
きみ からの電話がきた。
待ち侘びていた、
一気に救われるような
どん底に突き落とされかけるような、
どちらともないドキドキを抱え電話に出る。

最初は群衆の中で会話をしていたが、あまり人には聞かれたくない内容になってきたので、ベランダのような場所に出る。

「最近、どうしてるの?」

そんな、他愛もない話を、言葉ひとつひとつを、あたしは多分ゆめの中で愛していた。

ベランダに座っているのが疲れたので、歩き、大きな駐車場に止まっているワゴンに乗る。
勿論現実のあたしはワゴンなんて持っていないけれど、ゆめの中では自分のもののように。又は、自分の知り合いのものだったような気がする。


「今日から久しぶりの連休なんだ」
きみがサラッと言う。
「何かするの?」
あたしも何事もなく返す。
「スノボ行って、…」

幾つかの予定を教えられ、「ああ、会えないんだ。そして、あたしと会うという選択肢すら無かったのか」と思ったのは仕方がないにせよ、頭の片隅に「きっと他の女とは会うんだろう」という気持ちもあったが、後者は忘れることにした。

「楽しんできてね。」
そう、言えたかどうかは、覚えていない。


何時もきみがゆめに出てくるときは、
あたしに対してとても冷たい。
でもこのときは、珍しく優しかった。
何時も通り冷たいときは特にこわいと感じることが無い。寧ろ嬉しいんだ。

でも優しかったから、こわかった。
優しかったのに、冷たかった。
まるで人形が無表情な笑みを保ったままずっと其処に立ち続けているような、そんな感覚。


ワゴンの助手席で話していると、運転席に見知った顔の、きみ の友人が入ってきた。
電話をしていることを察し、何も言わない。
助手席の方にもひとが入ろうとしていたので、
「ごめん、退くね」
と言って後部座席に移動する。

きみと話す内容はどんどん無くなり、
でも切りたくなくて、
運転席の友人に電話を渡す。
なにか話していたが内容は覚えていない。
でも、何となく「嬉しかった」内容。

そうこうしているうちに
後部座席にもひとが乗り込んできたので、
ワゴンを出ることにする。

どうやら皆の話を片耳で聞いている限り
今からバーベキューへ向かうらしい。
何となく「きみも合流するのか」と思った。


ワゴンを出て少しして、
電話は、いきなり切れた。

「切れちゃった」

と、メールを打ったものの、
其の返事が返ってこなかったのか
その前に目が覚めてしまったのかは覚えていない。



ゆめ は起きているうちに
自然と記憶から無くなっていくという。
現に、起きた直後は覚えていたのに、
ということなんてザラである。

きみが出てきたときは、出来るだけ早く何かしらにメモするようにしていて、このときは起きて携帯の充電が切れていたため、ノートに走り書きをしていた。

だから、もう、いま、
「此のゆめを見たこと」は覚えているけど
「此のときの感覚、感情」は殆ど覚えていない。


でもそれって ゆめ だけの話ではないと思う。
現実 だってそうだ。
「こんなことあったなあ」
という記憶は残れど、其のときの詳細な想い、厳密な脳の中の記憶はどんどん失われていく。

忘れたくないなあ。
でも、忘れないと生きていけないなあ。

そんな矛盾を抱え続けることもまた、「しあわせ」の一つなのかもしれない。


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『きみの世界の神になる。』



@きっともうすぐ彼女と会えるのだが、残念ながら脳内の宇宙は外面に表れにくい。電車で隣の席に座っている人間の脳内が殺戮衝動に溢れていることを悟ることはむつかしい。
( つまりは、きっとわたしと彼女はきっと普通に普通で普通の会話をする。だからわたしはここに"  Q "として残す。 )


@『Q、きみと神さまの違いについて。
宗教と恋愛の違いについて。』


@わたしは何時だって好きなものを信仰する癖がある。その教えに導かれ生きる意味にし、届かない聖域に陶酔する。

そっちの方が傷付かないで済むからだ。


『 初めから 』『 手に出来ない 』。
『 だってきみは神さまだから 』。


自分の不甲斐なさや能力の無さを棚に上げ、何時だってその距離を正当化する。自己陶酔には正しい距離。そうやって自分を守ってばかりいた。(これはその『設定』に恋してるだけなのか、まあそれはまた別の話としよう。)



@神さまがピアスを開ければそれを愚民は真似をする。教祖が青い服を着ればそれを信者は真似をする。


同じ箇所に同じ痛みを、色を、形を、纏うことで生まれる一方的な『 安心感 』『 自分は守られている 』と言う錯覚。ここに果たして『愛』は存在するのだろうか。いや、ここに存在している感情は『愛』何だろうか。



@毎朝神さまからの教えを復唱することから始まる、あの宗教と
毎朝きみから貰った言葉を再生するわたしは、どこが違うと言うんだろう。それでもわたしは、



@わたしはきみに「僕は神さまじゃない」と言われた。だから近付きたいと思った。人間として、。人間として、誰よりも近くに。



平伏すよりも隣で笑いたい。祈るよりも手を握りたい。それでもわたしは、何度だってきみを神さまだと錯覚してしまう。尊い、美しい、聖域、触れられない、距離。現在ある事実は、『わたしが無価値だから』なのか、『きみが神さまだから』なのか。



、わたしは時々よく判らなくなる。




@わたしはぱっぱらぱーなので、大好きな子が大罪犯そうが何しようが『可愛いなコイツ☆ミ』で纏めてしまうくらいには、彼女のことが好きなので、でもこの感情、ひねくれてるきみからしたら、「お前は只、何にも興味が無いだけだろ、」に、変換されてしまうのかしら。



@それでもわたしにだって知りたい持論や考えがあるわけで、どうしてそれを彼女に向けているのかは判らない。只、言葉を残したり、何かを考えてるとき、きっと脳内はフル起動しているはずなのに、



何でかな、考えないでいいことを考える
残さなくていいものを刻む


その間、パンクしそうな脳内は
空っぽになれている気がする、



この矛盾で生き繋いできた時間が、
果たしてわたしには、彼女には、
そして「きみ」には、
どれくらいあるんだろう。




@って言うわけで死ぬ程暇な時にでも「信仰心と愛の違いについて。」、わたしは彼女の持論が聞きたい。とりあえず、神さまには教祖には、ちゃんとした固有名詞があるらしい。「きみ」は神さまか、教祖か、それとも人間か。




@神さまには羽根が無いんだって。それはひとがひとを、神にするからじゃないのかしら。




@赦したい、赦されたい
裁かれたい、裁きたい
守りたい、守られたい

だってわたしは、きみにこうも、神さま染みた感情を望んでしまう、




@でもさ、人間だとか知っちゃったら手遅れだよね。だって、抱き締めたくしかならなくなるもん。




@成美