酩酊 五月雨 きみ 魚

「自称異常」な女と「自称正常」な女。

『きみ、なんて結局』


@ねむれる体制に入った、から書くこの文章。きっと支離滅裂明日の朝には『ナンダコレ??』と思う視界がぼやけてるけど残したい『現在』には抗えない



@結局「きみ」と使うことで総てのわたしと係わりを持つひとに、偉そうに言えば、選択肢を与えてる、そしてわたしは逃げている。誰にでも当てはまる「きみ」を、わたしは言い訳にでも逃げ道にもできるから。わたしが、彼女が「きみ」の名前をハッキリとここで綴ってしまったとき、わたしと彼女はきっと逃げ道が無くなる(そう思うのはわたしだけかしら)


@今や有り触れすぎてる世の中のラブソングに、ひとは何時だって感情を移入させることは
容易い

その歌詞の「きみ」と言う主語だけを替えて
後に綴られる「愛してる」、なんて屎みたいなフレーズを、恰も当たり前に「きみ」への感情だと錯覚する。お前たちのその「きみ」は、一体何にん目の、「きみ」だ。




@わたしはきみが大切で仕方ないけど
結局わたしだって
きみじゃ無くても誰かを「きみ」にするのかしら。
自己陶酔のために既存したラブソングにきみのことを当て嵌めるのかしら。



「きみ」なんて後付けで誰でも代用できて
ひとなんてその後のフレーズに
酔いしれるだけなんじゃないの。
「きみを愛している」「きみじゃなきゃ駄目だ」。

ああ、なんてくだらない
くだらないのは誰だ。
「それら」を潔癖する、わたしだ。



@何が言いたいのか頭が廻らない
結局ひとなんて他人なんて自己陶酔の駒でしかないんでしょ。



@、それでもわたしは
『きみじ ゃなきゃいやだ』と言う感情をたったひとりに向けて、そしてこの「きみ」は、「きみ 」にしか抱かない


それをひねくれてる「きみ」に、
「僕は何にん目の、「きみ 」」?
と、問われようもんなら、わたしは
きみ、に、
出会って初めての感情を抱くんだろう、その名前は多分、「潔癖」。



@しんじてほしい
しんじてるから
誰にでも当てはまる「きみ 」へ。
『君と居たら生きたくなる、 』
この歌、
「きみ」なら「きみ 」のことだと
判っている、と、

ねえ、信じているよ、



@成美