『きみの世界の神になる。』
@きっともうすぐ彼女と会えるのだが、残念ながら脳内の宇宙は外面に表れにくい。電車で隣の席に座っている人間の脳内が殺戮衝動に溢れていることを悟ることはむつかしい。
( つまりは、きっとわたしと彼女はきっと普通に普通で普通の会話をする。だからわたしはここに" Q "として残す。 )
@『Q、きみと神さまの違いについて。
宗教と恋愛の違いについて。』
@わたしは何時だって好きなものを信仰する癖がある。その教えに導かれ生きる意味にし、届かない聖域に陶酔する。
そっちの方が傷付かないで済むからだ。
『 初めから 』『 手に出来ない 』。
『 だってきみは神さまだから 』。
自分の不甲斐なさや能力の無さを棚に上げ、何時だってその距離を正当化する。自己陶酔には正しい距離。そうやって自分を守ってばかりいた。(これはその『設定』に恋してるだけなのか、まあそれはまた別の話としよう。)
@神さまがピアスを開ければそれを愚民は真似をする。教祖が青い服を着ればそれを信者は真似をする。
同じ箇所に同じ痛みを、色を、形を、纏うことで生まれる一方的な『 安心感 』『 自分は守られている 』と言う錯覚。ここに果たして『愛』は存在するのだろうか。いや、ここに存在している感情は『愛』何だろうか。
@毎朝神さまからの教えを復唱することから始まる、あの宗教と
毎朝きみから貰った言葉を再生するわたしは、どこが違うと言うんだろう。それでもわたしは、
@わたしはきみに「僕は神さまじゃない」と言われた。だから近付きたいと思った。人間として、。人間として、誰よりも近くに。
平伏すよりも隣で笑いたい。祈るよりも手を握りたい。それでもわたしは、何度だってきみを神さまだと錯覚してしまう。尊い、美しい、聖域、触れられない、距離。現在ある事実は、『わたしが無価値だから』なのか、『きみが神さまだから』なのか。
、わたしは時々よく判らなくなる。
@わたしはぱっぱらぱーなので、大好きな子が大罪犯そうが何しようが『可愛いなコイツ☆ミ』で纏めてしまうくらいには、彼女のことが好きなので、でもこの感情、ひねくれてるきみからしたら、「お前は只、何にも興味が無いだけだろ、」に、変換されてしまうのかしら。
@それでもわたしにだって知りたい持論や考えがあるわけで、どうしてそれを彼女に向けているのかは判らない。只、言葉を残したり、何かを考えてるとき、きっと脳内はフル起動しているはずなのに、
何でかな、考えないでいいことを考える
残さなくていいものを刻む
その間、パンクしそうな脳内は
空っぽになれている気がする、
この矛盾で生き繋いできた時間が、
果たしてわたしには、彼女には、
そして「きみ」には、
どれくらいあるんだろう。
@って言うわけで死ぬ程暇な時にでも「信仰心と愛の違いについて。」、わたしは彼女の持論が聞きたい。とりあえず、神さまには教祖には、ちゃんとした固有名詞があるらしい。「きみ」は神さまか、教祖か、それとも人間か。
@神さまには羽根が無いんだって。それはひとがひとを、神にするからじゃないのかしら。
@赦したい、赦されたい
裁かれたい、裁きたい
守りたい、守られたい
だってわたしは、きみにこうも、神さま染みた感情を望んでしまう、
@でもさ、人間だとか知っちゃったら手遅れだよね。だって、抱き締めたくしかならなくなるもん。
@成美