「似ていると似ていないの違い、理想と現実の違い、本当と嘘の違い。」
彼女とあたしは似ている。
彼女とあたしは似ていない。
誰かとあたしは似ている。
誰かとあたしは似ていない。
好きな人とあたしは似ている。
好きな人とあたしは似ていない。
誰とも、同じで、誰とも、違う。
「自分とは違うものに惹かれる」
「自分と似ている人を好む」
何が本当で、何が嘘か。
きみとは全く似ていない。
似ている要素も
あたしがきみをずっと忘れないことに関する明確な理由すら、あたしには未だ見当たらない。
理想と現実は、真反対の定義だとされる。
しかし、現実が理想を越えてしまうとき、ひとは意外にも冷静であり、現実に適応するよう仕組まれている此のプログラムは、実に素晴らしく今後何百年経っても開発するには到底及ばないものだと思っている。
また、其れは非常に冷酷でもある。
何が本当で、何が嘘か。
例えば「ぼくはビールが一番すきだ」と豪語され続けたとする。そしてビールしか飲まない姿をずっと見てきたとする。
其れは、あたしの中で、「本当」になる。
実は嫌いなのかもしれない。
なら其れは、「嘘」であることに成る。
何が「本当」で、何が「嘘」かなんて、言った人間と、受け取る人間で、その「真実」は異なる。
この場合、「本当」は「嫌い」なのだから、
「真実」は「嫌い」だというのかもしれないが
あたしはそんなことは知らない。
知らないならあたしの中での「真実」は「好き」なんだ。
開けないと分からない、シュレディンガーの猫。
開けない正義もあるだろう。
開けても開けなくても、中身は一緒だと理論を唱えられても知ったことではない。
とにかく、あたしは、何もかも、正しい「真実」を知りたい。
だからこそこんな、アロンアルフアの様な人間になってしまった。
蓋を取って身を出したら離れなくなる。
離そうとする人間に痛みを加える。
接着した期間が長ければ長い程
跡に残る傷も大きくなる。
そう、只の、粘着。
きみへの想いもきっと、只の。
只の。其れだけの。一方的な、執着だ。
其の瞬間接着剤の蓋を切って
安易に中身を吐き出し塗りたくってしまった事は
人生で最大の救いであり
人生で最大の誤算であった。
そして、殘る傷痕は、おおきすぎて醜すぎて酷すぎて忘れようにも忘れられないよ。
あたしの、人生の半分を、支配した、
否、し続けている、きみ。
余談にはなるが、
もっと言えば全て「余談」ではあるが、
其れはさて置き。
「おまえが 其れを 語るには早すぎる」
と、誰かが言う。
たかがあたしより、10年ほど長く生きているだけの、生きてきただけの人間に言われるのは、余計に、どうしようもなく、腹が立つ。
勿論あたしはたった23年間しか生きていない。
今やっと、「高校生」との違いが身に染みて解る様になった程度の人間だ。
「なにも解ってないのは、そう簡単に口走ってしまう、貴方ではないでしょうか。」
之以上、今迄以上、
貴方たちの言う
「人生の厳しさ」なんてものを知ったら、
きっと たぶん いや 間違いなく
あたしは死ぬだろう。
其れが、之以上、今迄以上だったらの話。
世界なんてものは、どれだけ広かろうが、何年経とうが、ひとがひとである限り、知れてるもんだ。自分の眼で、自分の耳や鼻でしか、感じることができないのが「世界」でしか無いのだから。
あたしは、「粘着性の非常に強い生き物」である。
泥沼に嵌って必死にもがく。抗う。
自ら入ったこの沼に、殺されかける。
でも何時ものこと。
其れがあたしの「正常」であり「通常運転」。
なのにつらい。
なんて馬鹿馬鹿しいんだ、とも思い続けている。
其れでも唯一、解り切ってしまったことは
その沼の中でしかあたしは生きていけないということだ。
辛くて苦しいだけの筈のその沼の温度でしか生息できない生き物に成ってしまっているということだ。
其処に居れば、其処に居たから、
其処に逃げて、其処で救われたから。
其の沼への、そんなきみへの感情を
「恋愛感情」だなんて易い言葉で
片付けられる程簡単なものではない。
あたしには無いものしか持っていないきみに、
全くもって正反対で
只々眩しすぎて眼が眩んでしまうきみに
心底、こうふくしている。
あたしの中の執着、
「独占欲」「支配欲」「肯定欲」
何れもあまりにもしっくりこない言葉たち。
この感情を何と呼ぼう。
「堕落願望」
_