酩酊 五月雨 きみ 魚

「自称異常」な女と「自称正常」な女。

「ゆめの中での言葉は人間が言葉に表せない言語らしいが、其れでも。」

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今年の7月の終盤は、リアルなゆめの連続だった。その一つを此処にメモとして綴っておく。


あれはどこだったんだろう。
真っ白な建物、病院のような、学校のような。
其の中には女が沢山いて
それらは「友達」若しくは「知り合い」だったんだと思う。

其の女どもは、例に漏れず各グループに別れ、戯れていた。独りで行動できない生物が苦手なので、あたしは心底面倒臭い気持ちであった。

そして、きっかけは忘れたが
其れが「友人」だったか「知り合い」だったかも覚えていないが、とにかく女と口論になる。

嫌な気持ちになっているところに、
きみ からの電話がきた。
待ち侘びていた、
一気に救われるような
どん底に突き落とされかけるような、
どちらともないドキドキを抱え電話に出る。

最初は群衆の中で会話をしていたが、あまり人には聞かれたくない内容になってきたので、ベランダのような場所に出る。

「最近、どうしてるの?」

そんな、他愛もない話を、言葉ひとつひとつを、あたしは多分ゆめの中で愛していた。

ベランダに座っているのが疲れたので、歩き、大きな駐車場に止まっているワゴンに乗る。
勿論現実のあたしはワゴンなんて持っていないけれど、ゆめの中では自分のもののように。又は、自分の知り合いのものだったような気がする。


「今日から久しぶりの連休なんだ」
きみがサラッと言う。
「何かするの?」
あたしも何事もなく返す。
「スノボ行って、…」

幾つかの予定を教えられ、「ああ、会えないんだ。そして、あたしと会うという選択肢すら無かったのか」と思ったのは仕方がないにせよ、頭の片隅に「きっと他の女とは会うんだろう」という気持ちもあったが、後者は忘れることにした。

「楽しんできてね。」
そう、言えたかどうかは、覚えていない。


何時もきみがゆめに出てくるときは、
あたしに対してとても冷たい。
でもこのときは、珍しく優しかった。
何時も通り冷たいときは特にこわいと感じることが無い。寧ろ嬉しいんだ。

でも優しかったから、こわかった。
優しかったのに、冷たかった。
まるで人形が無表情な笑みを保ったままずっと其処に立ち続けているような、そんな感覚。


ワゴンの助手席で話していると、運転席に見知った顔の、きみ の友人が入ってきた。
電話をしていることを察し、何も言わない。
助手席の方にもひとが入ろうとしていたので、
「ごめん、退くね」
と言って後部座席に移動する。

きみと話す内容はどんどん無くなり、
でも切りたくなくて、
運転席の友人に電話を渡す。
なにか話していたが内容は覚えていない。
でも、何となく「嬉しかった」内容。

そうこうしているうちに
後部座席にもひとが乗り込んできたので、
ワゴンを出ることにする。

どうやら皆の話を片耳で聞いている限り
今からバーベキューへ向かうらしい。
何となく「きみも合流するのか」と思った。


ワゴンを出て少しして、
電話は、いきなり切れた。

「切れちゃった」

と、メールを打ったものの、
其の返事が返ってこなかったのか
その前に目が覚めてしまったのかは覚えていない。



ゆめ は起きているうちに
自然と記憶から無くなっていくという。
現に、起きた直後は覚えていたのに、
ということなんてザラである。

きみが出てきたときは、出来るだけ早く何かしらにメモするようにしていて、このときは起きて携帯の充電が切れていたため、ノートに走り書きをしていた。

だから、もう、いま、
「此のゆめを見たこと」は覚えているけど
「此のときの感覚、感情」は殆ど覚えていない。


でもそれって ゆめ だけの話ではないと思う。
現実 だってそうだ。
「こんなことあったなあ」
という記憶は残れど、其のときの詳細な想い、厳密な脳の中の記憶はどんどん失われていく。

忘れたくないなあ。
でも、忘れないと生きていけないなあ。

そんな矛盾を抱え続けることもまた、「しあわせ」の一つなのかもしれない。


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