酩酊 五月雨 きみ 魚

「自称異常」な女と「自称正常」な女。

『きっと ついらく てんし 』

@「 ブログ書いて、愛がいっぱいの 」




最近彼女にされたお願い事といえば
これくらいである。
何を今更、こんなにもこんなにも
日々伝えても、足りないのか。

『足りない』?
彼女が本当に欲しいものは
何なんだろうなあと思いながら、
わたしは彼女の「死にたい」というラインに
きどく を付けてまた眠りについた。


この彼女に対する感情は
なんていうんだろう、
出会った頃から、きっとずっと
仲良しこよし、よりも
もちつ持たれず、がしっくりきて


今やなんでも言える「友達」
「友達」?そう言うには軽すぎて
そしてそこからかけ離れているのは
なんとなく判る、きっとお互い。


それでも彼女の「大好き」に
嬉しくなるのも本当で、正常で、
きっと安心してしまうんだよね。

何年も何年も視てきた互いの生き方

だから、何となく判るんだ
判るって言っても

わたしは何時だって
あの瞳を真っ赤にして泣く彼女に
巧い言葉が出なかった。

大人になった今なら、なんて
考えるけど
彼女を救えるのはわたしじゃない。
わたしを救えるのは彼女じゃない。


わたしたちは、それを、
判りきってる、くせに、どうして。


満たされないものを
埋められないものを

どうしてわたしたちは、
互いの『「大好き」』で
誤魔化すんだ、ろう。



いや、でもわたしが
彼女を溺愛しているのは事実であり
好きだと言うのも、好きだと言われるのも
うれしくって、さいこーなのよ。





出会ったあの日
わたしは 天使に 会ったのかと
おもいました。


でも、きっとそれは
間違いで、いや、本当はあの頃は
そうだったのかもな。




きっと、ついらく、てんし。





それでも美しくて無邪気で優しくて
白いうでににあうのは、きっとあの平行線



ねえ彼女
彼女はわたしにとって
きっと「げいじゅつ」だった。






@沢山の「 あい 」が
このせかいには溢れる、様々な形で。

彼女は
わたしに対する感情を
「 あい 」だと言う。
そしてわたしも、同じだ。


これは只の生温い
「メンヘラ仲良しごっこ」では、無い。


だって腕は切れても
わたしと彼女の関係は
切れないでしょう。
これ、笑うとこよ。





わたしたちは、
互いの「 きみ 」を知っている。
だからこそ願う、祈る、



@何時も彼女はないていた。
それが嬉しいことでも、
きゃぴりもせずに泣いていた。

だからこんどは
ねえ彼女の「きみ」。


彼女を笑わせてよ
彼女を生かせてよ
彼女を幸福にしてよ






わたしは、
彼女の泣きボクロが好きだ。
でも、笑った彼女が、好きだ。


彼女が彼女を嫌いでも
彼女が彼女を嫌いな彼女を
わたしは好きだと思うよ。




わたしの『大好き』は
安くねえからな。
ねえ、彼女


大好きよ、おやすみ





@成美