酩酊 五月雨 きみ 魚

「自称異常」な女と「自称正常」な女。

『わたしと彼女ときみ(複数系)と。』

@数年会わなかった彼女とわたしは、丸で昨日も会ったかのような変わらないノリでこのブログを始めることにした。


気にしてなかった訳でも、忘れていた訳でも無い。只わたしと彼女は「 切れない 」と言い切れる程に、彼女がわたしの日常から突然消えるのは当たり前のことだったのだ。


彼女は発作的に総てをリセットする癖がある。それをわたしは何時も理解が出来なかった。

わたしは吐き出したもの総てを保存しておく癖がある。それはきっと、わたしは自分が造る せかい が、 何よりも好きだから、なんて自己愛。


それなら彼女が総てをリセットする理由は、彼女が彼女自身が造る せかい が、好きじゃ無いから?に繋がっているのかは、わたしにも判らない。



@わたしは彼女が好きだ。
色が白くて小動物みたいで泣いても笑っても可愛くて涙ぼくろも可愛いし、頭もいいし冗談も話せる。わたしが男だったら騙されてでも貢いででもいい位に、彼女はとても魅力的である。きっと赤い平行線が似合うのも、煙草の押し付けた痕が似合うのも、きっとそんな彼女の、あの腕だと何時も思っていた

、それでもわたしが女としての嫉妬に駆られなかったのは、呑気に『好き好き』言い続けられたのは、
わたしは彼女が「ちゃんと」「苦しい」ことを、何年も視てきたから、かもしれない。


@「 わたし達 」は、似ていない。
わたしは『異常』で在ることを、彼女は「正常」で在ることを望んでいる。彼女が泣ける歌にわたしは泣けないし、わたしが安心する声に彼女は安心しない。それなら、何故。


@結論をいうと、わたしは彼女が自分で壊してきた彼女の造る せかい が好きだった。その破片を拾い集める手助けをしたくとも、わたしは彼女が聴き続けた音楽を、そのメロディを、全く知らないのだ。だからまた、造っていく。今度こそは消させないように。だって彼女の現在に、わたしだって存在してるんだ、という、これもまた自己愛。


@このブログの意味は何?只のチラシの裏。交換日記?ひとりごと。デスノート?只、きっと彼女が言うように、30年後位に読み返して赤面して死にたくなりたいんです。「それでも」「生きてきた証」。あ、これはわたしの好きな人間の受け要り。


@このブログには約束事がある。それは固有名詞を出さないと言うこと。総てを「きみ」と呼ぶことは、誰でも容易く感情移入が出来る、なんて文学的女子ドヤぁしてますけど、


誰かの被害妄想を、誰かの自意識過剰を加速化させるのもさいこーに面白いじゃん、なんて糞みたいな本音、彼女は笑ってくれるのかな。



わたしは「きみ」を愛してる
わたしは「きみ」が大嫌い
わたしは「きみ」を嘲笑ってる
わたしは「きみ」が何よりも大切
わたしは「きみ」を守りたい

ねえ 、 「きみ」は何れに自己を投影する?




@成美